日本人は自己表現がうまくないと言うのは定説です。

 

慎ましく、控えめが美徳である文化が根強いからなのか

それも少しづつ、変化してきているような気もしますが

 

少なくとも私の周りでは

自己表現に悩みを抱えている人が多いです。

 

 

 

それぞれの『自己表現』があると思います。

 

 

言葉や行動で表に出していい。

芸術や仕事などを通して

そこから表に出してもいい。

 

自分の内に存在している『何か』を

外へ打ち出すことが自己表現

 

自己表現というものに対しては

誰かが元気になれる、

そして前向きになれるような人の役に立てるようなものを

と考える人も少なくない気がします。

 

確かにそうなのです。

でも、それを考えすぎてしまうと

表現する事自体にブロックがかかりやすくなります。

 

 

だけど、自己表現はあくまで

自分の中の何かを表に出すことであって

人を元気にさせるのが先ではないのですよね。

 

まず自分の表現欲求ありきです。

 

 

自分が表現したことで

結果的に誰かを元気付けたり

明るい気持ちにしたり

その人の心の闇を

肯定してあげられる事が出来るかもしれない。

 

 

でも、それは自分の内に存在している

感情、衝動、陰陽、光と闇、などからの

クリエイティビティ(創造性)を形にする

ということが先なのです。

 

 

 

だから例えばそれはポジティブだけのものや

ハートフル主体じゃなくても構わないわけで

 

人間の闇、ネガティブな面や

見たものの影と対峙させられるような

問題提起型でもいいのです。

 

 

 

どう感じるか、胸を打たれるかはその人次第で

 

創造性は神からもらうひらめきや

自分の使命に繋がるものだから

 

自分が自分の中の創造性を表に出すときに

良い悪いでジャッジしてはならないのです。

 

 

あとは人と人が

不快とならないボーダーラインを心掛ければいいのです。

 

 

 

 

 

表現したものを受け入れられないかもしれない。

受け入れられないとショックだ。

とおっしゃる方が多いです。

 

 

もし、そういう怖さを持っている人がいるならば

ぜひ、これをしてみて欲しいと思います。

 

 

『人を意識的に応援すること』

 

 

 

そもそもは

自分のことを受け入れられる人間なのだ

そう思って欲しいところなのですが

 

そう言われたからと言って

出来るものでもなく

 

自分が受け入れられる人間だと思えない自分を

責めてしまうかもしれない。

 

 

 

 

人は、自分がそうだと相手もそうなのだ

と思いやすいものです。

 

自分が相手を好きだと

相手も自分を好きなのかもと思うし

 

自分が相手を嫌いだと

あの人は私の事多分嫌いだ。

 

と思うようになっている。

 

 

 

人を応援する事に意識を向けていくと

自分も応援される、と

自然と思えるようになってきます。

 

 

 

人を応援したいとみんな思っているのだと思いますが

常にそこへ意識を持っていく人はそう多くはありません。

なので、意識的に応援するのです。

 

そうすると、自分が表現する事を許せるようになってくるし

表現する事が許されている気がします。

 

 

そもそも表現に自由も不自由もなく

表現はいつも自由です。

 

でも、その表現に

他者からの評価として制限をかけているのは

『自分自身』です。

 

 

 

自己表現をしたことに対して

人の評価はつきものです。

 

しかし

自分が自己表現することと

人の評価は別のもの

 

 

 

 

表現をする自分がいて

それに対して様々な感情を持つ他者がいる

 

ただ、それだけ。。

それが結果、誰かの役に立っている。

 

 

 

自信を持って、あなたを表現してください。

あなたの表現が、誰を救う。

あなたの表現が、誰かの命を救う。

あなたの表現が、地球を救うのです。

 

大げさでは決してなく

私も数々の表現に救われた1人なのです。

 

 

不必要な表現は1つもありません。

 

そのままのあなたの衝動を

外に出される日が来ることを

心待ちにしている人がいるのです。