みなさん、こんにちは。

占い師、パートナーシップアドバイザーの妃観です!

 

昨日、ゲーム依存について書かせていただきました。

今日はその続きとして、不登校について私なりの考え方です。

 

不登校になる理由も様々ですし

環境も、その子や親の性格もあるので

それぞれの不登校があるのだと思います。

 

私の経験なんて、まだまだ未熟者としての経験なのですが

親と言う立場から色んな事を考えますし、色んな事を経験もしました。

 

子どもの事だけならず、どんなことでもそうですが

正しい、正しくない、で物事を見る事が

全ての元凶になってしまう事を身をもって感じたこともあります。

 

そんな私が思うこと。

それは、不登校は不自然な事ではないということ。

 

大人も、出社拒否状態になることがあります。

パートに行きたくなくなったり、習い事だって嫌になる。

会社に行こうとすると、お腹が痛くなったり、胸の辺りがもやもやする事もあります。

 

何もなければ、そういう状態にはなりません。

何かその人なりの理由があって、そういう状態になると思います。

だから、不登校はそういう憂鬱さと、なんら変わりないと思うのです。

心と体の反応、だということ。

 

心が疲れていたり、心が苦しい、心の許容量が超えてしまっている。

 

それは、頑張り過ぎたり、無理していたり、

人との関係がうまく築けなかったり、誰かに何かを言われたり

うまく日常をこなせなかったり、、

 

理由は色々あると思うのですが

その時の心の状態って

心に傷がたくさんついていて

ケガして、血がたくさん出ている状態だと思います。

 

不登校を『問題』『不自然』と捉えると

登校が『当たり前』『自然』だということになる。

 

それは、ケガをしていて骨折したり

たくさん血が出ている子に

体が動くのなら、行くのが自然だから行くべき

と言っているようなもの。

 

心は見えないし、傷も見えない。

心の血は流れている所が見えません。

外からは分からないけれど

 

行きたくない、と言っている時にはもう

傷ついて、無理…となっているのです。

 

ケガや病気をしたときに

『学校へ行けなくなったらどうしよう』とは思わないし

『どうやったら学校へ行けるのだろう』

『このまま学校へ行けなくなったらどうしよう』なんて考えないはず。

 

ケガや病気が治ったら、学校へ行ける事が

分かっているからです。

 

不登校にはそれをしてしまうし、思ってしまうのはなぜでしょう。

それは、心の傷が目に見えないからです。

見えないから、思うより平気に見えてしまいます。

 

 

本当は、ゆっくりと休む事が必要な時。

心の傷口から出た血を丁寧に拭ってあげて

傷を消毒して、ばんそうこうを貼って

 

痛かったね、怖かったね。

もう、大丈夫だよ、ゆっくり休もうね。

と、思う存分、休ませてあげる時なんです。

 

だから不登校は

ケガや病気の時に元気になれるように

ゆっくり傷を治す事と同じように

自然な事だと私は思うのです。

 

 

きっと、本当に学校へ行きたくない子っていないと思います。

楽しく通えるものならば、行きたいんじゃないかな。

 

怠けているわけでも、さぼりたいわけでもない。

もう二度と、学校に行きたくないなんて思ってないんですよね。

 

頑張り屋さんなんですよ。

だからこそ、疲れちゃったんです。

ね、大人と一緒。

 

疲れたら休む。

しんどければしんどい。

悲しい時は悲しい。

嫌な事はやめてもいい。

 

そういう基本的で自然な事を

私たち大人は我慢しようとます。

行きたくない、やりたくない、辛い、悲しい。って言う事は

勇気がいる事だから。

 

でも学校に行きたくないって言ってくれる時は

そういう我慢をしない選択をしてくれている。

勇気を出して、言ってくれている。

 

弱音を吐かずに我慢をして耐えてる事の方が、

そして無理して学校に行く方が不自然です。

毎日学校は行くものだ、と教えれば行けるようになるものではないと思うんです。

 

ケガをして血が出ている子に

毎日学校は行くものだよ、なんて言わないですから。

 

 

どうすれば行けるのか=今の状態(不登校)が不正解

それは、学校に行ける事が正解だ、という大人の考えが子どもに伝わり

不正解をしている自分はダメだと思いかねないな、と思います。

 

不登校は不正解じゃない。

学校へ行く事だけが正解じゃない。

 

でも、不登校は正解でもないし

学校へ行く事が不正解でもない。

 

どんな環境でも

その子が心穏やかにいられる事が最善で

親子の心が辛くないようにいられる事が一番なんだと思うのです。

 

どうすれば行けるのか

という対策を練り過ぎない事がとても大事だと思います。

 

 

日常で努力をして、ルールを覚え、

集団の中でたくさんの関わり方や解決策を学ぶことと

 

辛いのに我慢をして、過剰な忍耐を持ち

集団の中で顔色をうかがうことを覚えてしまう事は

全く違うと思うのです。

 

 

そこをはき違えてしまうと、不登校が最悪なものとなってしまうと思うのです。

不登校は悪い事ではないと思います。

それを問題と思ってしまうと、その子は問題児になってしまう。

 

言葉に出来ないメッセージを不登校という形で視える化してくれている。

不登校、という勇気のメッセージをどう活かしていくか。

それは、不登校というくくりを良い悪いでジャッジするのではなく

もっと深いところを見つめていく目をを大人が持っていけないといけない事だと思っています。

 

そう思いながら私は子供と向き合っています。

また、そういう想いを持つようになった経緯や私自身の経験についても

ゆくゆく書いていきたいと思っています(*^-^*)