ある美しい女性と

『出る杭は打たれること』について話した。

 

私は出る杭にもなったし、出過ぎた杭にもなった過去がある。

しっかりその意味を理解しない人間が出過ぎた杭になると

すぐに引っこ抜かれる。私はこれも経験した。

出ても出過ぎても、誠実さがあれば、その杭は意味を成す存在になる。

私はそう思います…

とその女性は言った。

 

 

 

だから私は言った。

自然と出る杭は、自然と誰かのためになっているから打たれにくい。

無理に出ようとする杭は

自我が強いから引っこ抜かれたり打たれてしまう。

 

『自然の杭』には誠実さが宿るのだろう。

突出している方々を見ていて、そう私は思っています。

 

 

その美しい女性はまた、言いました。

 

私は出る杭が打たれるのが悔しかった。

打たれないくらいにみんなより突出しようとがむしゃらに頑張ったけれど

それはすぐに引っこ抜かれた…

 

きっとその女性は

砂を噛むような想いでその時期を越えたのだろう。

 

 

出る杭、出ようとする杭。

そういうひたむきな杭を、打ったり、引っこ抜いたりする人間はいる。

これはもう、出る杭の宿命なのだろう。

そこに抵抗しても、どうにもならないものだ。

 

 

だが、引っこ抜いた者たちは

一生懸命で真っすぐでキラキラしてる杭が

うらやましくて仕方なかったはずだ。

 

妬ましくて、嫉視し

打って、抜いて、もう二度と

出てこれないようにしてやりたかったのだろう。

 

しかし人生は

そういう人間の思惑通りにはならない

 

 

一度抜かれると、次に生えてくる杭は

ものすごく頑丈な杭だ。

 

今、その美しい女性の杭は

そういう頑丈で、まっすぐで、きらきらしている杭が生えてきている。

 

人生にはそういう辛い時期があることすらも必然で

一度、暗闇を経験する事で

光の明るさや輝きがどれほど美しいものなのかを知る必要がある。

 

 

闇を見た人間は

光のまぶしさを知っているし

闇を経験した人間は

闇も光も大切だという事を知っている。

 

光も闇も知ってこその使命が、その人にはあるのだろう。

 

それは一見すると

暗黒的な過去と感じるかもしれないが

まさしく神からのギフトだったと、今後知る事になるだろう。

 

出る杭は打たれる

 

しかし、誠実な杭が打たれそうになったら、必ず誰かが助けてくれる。

魂の約束をしている誰かが、救いの手を差し伸べてくれるのだ。

 

でも、出る杭を打とうとする者の杭は

一生出ることは出来ないし、誰も助けてはくれない。

 

誰かの杭を打つならば 自分の杭が一生

日の目を見ない覚悟で打たなければならない

 

これからたくさんの杭が

この世界に出てくるのだろうと思う。

 

自然に出る杭で在ること

 

我が我が、ではなく。誰を蹴落とし、這い上がるではなく。

 

ひたむきに、誠実に、自然に生えている杭で在る。

ただ、そこで懸命に生きる杭で在る。

 

役に立とう、表に出よう、認められようとしなくとも

誰かに手を差し伸べられ

救いをもらえる杭で在る事が出来るのだと思っている。

 

誠実さこそ、人の真の力なり。